photo

久茂久岩(クムクジイ)

第二尚氏王統時代、琉球と中国の貿易に従事する中国の貿易船が嵐で遭難し、十数名の犠牲者を出しました。当添の人々は当添小堀(唐船古堀ともいう)に流れ着いた犠牲者の遺体を収容し、久茂久の岩に手厚く葬りました。また、後には海神たる竜宮の神もあわせてまつり、海の安全や豊漁をお祈りする場所となりました。

 

戻る